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若者に問う-日本映画のどうしようもない劣化

  20, 2018 07:18
今の日本の映画-アメリカナイズされた騒がしい(大きな声で喚く)、品のない、子供っぽい映画-を君が素晴らしいというのなら、もはや君は日本人ではなく、アメリカを真似る軽薄で根無し草のイエローモンキーといえるのはないだろうか。黒澤明やなど昔の映画をみれば、その「劣化」は明らかだ。世界的に評価される黒澤明と現代映画が、なにがそんなに違うのか。現代の日本映画が全く評価されないのはなぜか。よく考えてほしい。昭和時代までの映画には、世界の人々をうならせるだけの内容と映画の質があるのである。そこには、日本の伝統に立脚した日本独特のきめ細やかでしっとりした練りに練った映画がある。今風の「カッコよさ」だけで、自分だけが世界のような幼稚で単純、ギャーギャー騒ぐ映画ではなく、人間関係を綴る社会派の映画があった。「自由」や「自己」を語るのが映画ではなく、「自由にならないこの世のうさ」を綴るのが素晴らしい大人の映画なのだ。ようするに「大人の映画」というものはそういうものだ。日本という国の中でうごめく人間の有り様をペーソスを加えて描く。それが、映画であり、日本映画である。その中で「伝統」や「風習」がからみ、日本社会の日本人の生き様が描かれる。それに感動するのである。それらを捨ててしまえば、もうインスタントラーメンのようになって、日本料理ではなく、つまらない味の料理になってしまう。味わいがない、まるでコカ・コーラのような一瞬の快楽をもとめる薄っぺらな映画に行き着く。そう思わないだろうか?ほんの一瞬、「スカっ」とするがそれだけ。あとで、心に残り反芻する感動がない。今、世界で和食が人気になっているのは、それが健康的であるからではない。そこに、日本人の心、文化を感じるからであり、その複雑な味わいが世界の人々を魅了しているのである。日本の伝統にはそれだけの魅力があるのに、当の本人は、それを古いと避けて、浅薄なアメリカ文化に惚れている。まるで、かっこいいだけの軽薄な男を恋し、まっとうに生きる地味な日本人の味がわからない浮かれた尻軽女のようなものだ。

戦前映画
戦前、戦後を通じて、昭和の時代は、増村保造、木下恵介、川島雄三、市川昆などの名監督を次々と輩出した。

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小津安二郎の「東京物語」: 戦後の家庭崩壊の有様が見事に描かれている。

椿三十郎
黒澤映画には、世界を魅了する力と味があった。

若者よ!もうアメリカ商業主義に毒されて、自分を失うのはやめよう!自分の周りの人々と交わり、日本文化にひたり、戦後GHQの謀略により失った戦前の日本の伝統を復活させ、まっとうな日本人にもどろう!それこそが、日本人として生まれた喜びを実感できる王道なのであり、日本を築いた先祖への恩返しでもある。
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