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明治維新から大東亜戦争までの大日本帝国の軌跡概説

  28, 2018 08:06
明治維新からの日本帝国破滅の歴史

明治維新は、欧米帝国主義者たちの外圧により起こった。江戸幕府は、外圧に対して今までどおり「鎖国-攘夷」の政策をとった。しかし、開国をせまるペリーを始めとする帝国列強の軍事力は兵器において日本の技術レベルをはるかに凌駕し、開国要求を跳ね除けるだけの軍事力を持ちえていないことが、薩摩、長州における欧米列強との戦争で明らかなった。

ペリー来航
1853年のペリー来航が明治維新を引き起こした。

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下関事件(西欧列強は長州に上陸、その軍事的威力の脅威を見せしめた。)

こうして、国内で「攘夷」か「開国」かの内紛が起こり、イギリスが後押し、「尊皇開国」を掲げる薩長連合が幕府方に勝利し、政権奪取に成功する。これが、維新の始まりである。

長州征伐
幕府軍による長州征伐は失敗した。

その際、薩長は二千年続いた天皇を再び政治のトップに担ぎした。こうして新憲法のもと明治政府の時代-富国強兵がはじまる。そこで忘れてならないのは、大英帝国の影響であり。維新後の政府、主にその指導に沿って国内外政治を展開した点である。その後の日本の経済発展には大英帝国、米国の経済援助があり、そのおかげで日清・日露戦争にも勝利できた。こうして、大日本帝国は、欧米列強に仲間入りのできる立派な「帝国」に成長した。こうして、戦争で獲得した植民地(台湾、朝鮮、満州)経営に乗り出し、シナを上回るアジアの大帝国となったのである。
がしかし、ロシア革命がこの流れを大きく変える。ロシア帝国に変わるソビエトが南下し、南からは蒋介石と中国共産党の同盟軍が北上して、日本の生命線「満州」に危機が迫る。ソビエトとの間に「ノモンハン事件」、蒋介石との間に「満州事変」、「シナ事変」が起こり、戦争が常態化、国家予算も窮乏化してゆく。

南京入城
南京陥落、その後南京虐殺のフェイク話がつくられた。

こうした中、米国に誕生した共産主義シンパ政権ルーズベルトは、ソビエト、蒋介石・中共連合を支持し、経済援助を始め、日米対立が表面化してくる。米国は、日本の中国権益に挑戦するようになった。アジアで一大勢力を形成する日本が目障りになったのである。

フライングタイガー
フライングタイガーと呼ばれる米軍部隊が、秘密裏に大東亜戦争以前から蒋介石を助け、日本軍と戦っていた。

そうして、日英同盟が破棄され第二次大戦において枢軸同盟に加盟した日本は、英米の敵国として経済封鎖受け、国内においても5.15事件、2.26事件を通じ軍部勢力が台頭、経済封鎖に我慢ならなくなった東條内閣は、英米仏蘭に戦争を挑み、そして滅ぼされた。そのフィナーレを飾ったのが「原爆投下」だった。これにより先君たち努力はすべて無に帰したのである。シナ事変から大東亜戦争への道は、大日本帝国転落の奇跡であり、その背景には共産主義の勃興があった。しかし、日本の活躍はアジア・アフリカの植民地諸国に独立する気力を与えた。第二次大戦後、こうした国々は次々と独立し、ここに「帝国主義」は終焉を迎え大英帝国は滅び去る。
これが、日本の明治維新から第二次大戦までの大日本帝国が辿った軌跡である。西欧に追い越せ追いつけと頑張った大日本帝国滅亡の軌跡は、欧米列強を離れ、パワーポリティクスを忘れ、誤った独自の外交路線をとった結果である。バランス・オブ・パワー・ポリテッィクスの重要性と生き残りをかけた外交能力が、いま日本人に問われている。日英同盟で結ばれた大英帝国と大日本帝国が同時に破局する数奇な運命をたどることとなった。

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広島、長崎の原爆投下は、明治維新から日本が営々と築いてきた大日本帝国の最終章を締めくくる出来事となった。
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