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"Small is Beautiful" その1

  12, 2018 14:27
シューマッハ

シューマッハ氏の唱える考え方は、現代のグローバリズムに対抗しうる思想といえる。その注目点は「経済の適正規模化」である。米国が推進してきた「大量生産・大量消費の経済」の否定である。あのチャーリー・チャップリンの映画「モダンタイムス」にみられるように産業の巨大化・分業化は人間性を破壊する。これに対するアンチテーゼが、シューマッハ氏の唱える「Small is Beautiful」すなわち、経済の適正規模化すなわち人間の丈にあった経済の再構成である。



もうひとつが、後進国を主に対象とした巨大化技術からの脱却、「中間技術」による地域経済の復興である。これこそが、いま進んでいるグローバリズムによる国際資本家による世界支配と世界人民奴隷化に対するアンチテーゼの真髄だ。これから、その思想の内容に踏み込んでゆきたいが、今回は著書「Small is Beautiful」のエピローグの一節を掲げて終わりにする。

「・・・科学と技術の力が開花する興奮の中で、近代人は自然を奪い取る生産体制と人間を骨抜きにする社会体制を作り出してきた。ますます多くの富さえあれば、そのほかのものすべて手に落ちると考えられている。かねが力のすべてであり、正義、調和、美あるいは健康も、そうした非物質的価値はかねでは買えないとしても、策略を弄して必要なものは手に入れ、損失を補うことができる。かくて、生産の発展と富の獲得が近代世界の最高の目的となり、その他の目標はどんなに口先で重要だと言っても、二次的なものにすぎない。最高の目標はなんらの正当化も要せず、そして二次的な目標は最高のものを達成する手段を提供するとの理由で、結局正当化される。これは、物質主義の哲学であり、いまや現実の出来事によって挑戦を受けているのはこの哲学-ないし観念-である。世界のいかなる地域、いかなる社会においても、物質主義に挑戦し、優先順位の異なる秩序を説く哲人や教師のいないときはなかった。言葉は違い、シンボルは様々でも、託宣はつねにおなじである。「初めに、神に王国をもとめよ。さすれば、これらすべてのもの(物質的な事柄を含めて)は汝の手に帰するであろう。」それらはこの地上に与えられるのであって、想像力を超えた來世においてではない。この託宣は今日、哲人や聖人からではなく、現実の出来事によっても、われわれの耳もとに届けられる。それは、大量虐殺、没落、汚染、枯渇、そしてテロリズムの言葉でわれわれに語りかける。われわれはユニークな収斂の時代に住んでいるようにみえる。神の王国について驚くべく言葉の中には、将来への約束だけではなく、脅迫も含まれている。その脅迫とは、「初めに、神の王国を求めなければ、必要とするものは手に入らなくなるであろう」というのである。最近、ある著述家は、経済や政治家にはなんら言及することなく。それでも近代世界の核心に直接ふれて、次のように書いている。「人間が集団的に、真実からますます尻込みするならば、真実の方であらゆる面から人間に近づいてくる。過去においては、真実に触れるのには生産の努力を必要としたが、いまの人間に要求されるのは決して真実から尻込みしないことである。しかし、それはなんと困難なことか。」
近代世界の破壊的な力は、汚染と闘い、野生を保護し、新しいエネルギー資源を発見し、平和共存へのいっそう効果的な協定に達するために、富や教育、そして研究の力をさらに動員することによってのみ制御できるのだと信ずるならば、われわれは真実から遠ざかることになる。いうなでもなく、富や教育そして研究はその他多くのとともに、いかなる文明にも必要なものである。しかし、今日もっとも必要なものは、これらの手段を奉仕させる目的を修正することである。これは結局、物質的な事柄は二次的であって一時的ではないというその本来の地位に位置づけるような生活様式の開発を意味する。・・・」 
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