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地方再生党-地産地消経済、地域民主主義の提案 その2

  25, 2018 18:45
地方を改造する
日本の政党政治は、もはや意味をなしていない。共産党、立憲民主党等の共産主義者はもはや用無しである。自由民主党も「票集め」のため、「米国圧力」のため右往左往し、とても愛国的な政治集団とはいえない。もはや、政党のもつイデオロギーは国益に合致していない。「民主主義」も「自由主義」も「社会主義」もわれわれのすべてのニーズを代表する思想でもなく、もはやこうしたイデオロギーを超越した愛国的政治集団であるべきではないか。国難の戦前において大政翼賛会が存在した。これは戦争に備えるもであったが、これもある意味、国難に備えるために思想を超越して政党が一致団結した訳である。政党の裏には利益集団がある。例えば、左翼には労働組合、右翼には資本家である。しかし、こうした限られた集団に属さないのが浮動票と呼ばれるわれわれ大衆であって、われわれの利益を代表する政党は存在しないのはどうしてか?それは、政治が「金をもつ権力者たちの道具」であり、それを代表するのが「自由民主党(資本家)」、「立憲民主党(労働組合)」、「公明党(創価学会)」であるからだ。したがって、「権力をもたない」大衆の利益は一向に政治には還元されず、こうした権力者たちがその恩恵を受けるのである。政党とはそういう利益団体であって、日々生活に追われる貧しい大衆という金の少ない人達は、自立的に政治活動に参加できるのは「選挙」という場でしかその政治を表現できないが、その場に出てくる連中は先に述べたような利益団体を母体とする連中が主体で、「大衆の味方」など金のない連中は立候補するおぼつかないのが現状だ。マスコミは左翼に乗っ取られ、株主の言いなりで、間違いなく「権力者の犬」であって全くたよりにならないことはもう明らかである。
以上のように、「政党政治」自体が「形骸化」しており、「大衆の味方」が自由に選挙に出られるような体制づくりから、根本的に見直す必要がある。「草の根」政治-日々の生活に政治が関与する体制とは一体どんなもので、世界にそのような事例は存在するのか?大衆を利する政治システムとはいかなるものか?それには、「イデオロギー」は必要なのか?十分な調査検討が必要だ。「社会主義」のように、標榜はよいが蓋を開ければ共産主義者の国盗りの謀略であったようなまやかしに大衆はいとも簡単に騙される。あのヒットラーも大衆の「困窮」を種にドイツを破滅へと導いた。「標榜」だけではその正体はつかめない。いろいろな素晴らしい政策を並べても意味がない。民主主義とはそうした「危険性を孕んだ政治システム」である。フランス革命のジャコバン党のように大衆が大衆と対立し、互いに殺し合う無残な民主政治が「革命」なのである。勝ったから正しいといえば、ロシア革命の共産党は良い政治をおこなったか?否である。このように大衆は「愚か」であり、「民主主義」が大衆を利するとは言い切れない。「民主主義」も「社会主義」も信じられない。ではどうすればいいのか?歴史上、大衆を利する政治体制は存在したのか?


フランス革命
フランス革命では大衆と大衆が互いに殺し合った!

日本の政党政治は、もはや意味をなしていない。共産党、立憲民主党等の共産主義者はもはや用無しである。自由民主党も「票集め」のためや「米国圧力」のため右往左往し、とても愛国的な政治集団とはいえない。政党のもつイデオロギーは国益に合致していない。「民主主義」も「自由主義」も「社会主義」もわれわれのすべてのニーズを代表する思想でもなく、もはやこうしたイデオロギーを超越した愛国的政治集団が必要である。国難の戦時中において大政翼賛会が存在した。これは戦争に備えるもであったが、これもある意味、思想を超越して政党が一致団結した結果である。政党の裏には利益集団がある。例えば、左翼には労働組合、右翼には資本家である。しかし、こうした限られた集団に属さないのが浮動票と呼ばれるわれわれ大衆であって、われわれの利益を代表する政党は存在しないのはどうしてか?それは、政治が「金をもつ権力者たちの道具」であり、それを代表するのが「自由民主党(資本家)」、「立憲民主党(労働組合)」、「公明党(創価学会)」であるからだ。したがって、「権力をもたない」大衆の利益は一向に政治には繁栄されず、こうした権力者たちがその恩恵を受けるのである。政党とはそういう利益団体であって、日々生活に追われる貧しい大衆という金の少ない人達は、直接政治に参加できるのは「選挙」という場でしかないが、その選挙に出てくる連中は先に述べたような利益団体を母体とする連中が主体で、「大衆の味方」など金のない連中は立候補するのもおぼつかないのが現状だ。マスコミは左翼に乗っ取られ、また株主の言いなりで、間違いなく「権力者の犬」であって全くたよりにならないことはもう明々白々である。
以上のように、「政党政治」自体が「形骸化」しており、「大衆の味方」が自由に選挙に出られるような体制づくりから、根本的に政治制度を見直す必要がある。「草の根」政治-日々の生活に政治が関与する体制とは一体どんなもので、世界にそのような事例は存在するのか?大衆を利する政治システムとはいかなるものか?それには、「イデオロギー」は必要なのか?十分な調査検討が必要だ。「社会主義」のように標榜はよいが蓋を開ければ共産主義者の国盗りの謀略であるまやかしに大衆はいとも簡単に騙される。あのヒットラーも大衆の「困窮」を種にドイツを破滅へと導いた。「標榜」だけではその正体はつかめない。いろいろな素晴らしい政策を並べても意味がない。民主主義とはそうした「危険性を孕んだ政治システム」である。フランス革命のジャコバン党のように大衆が大衆と対立し、互いに殺し合う無残な民主政治が「革命」なのである。勝ったから正しいといえば、ロシア革命の共産党は良い政治をおこなったか?否である。このように大衆は「愚か」であり、「民主主義」が大衆を利するとは言い切れない。「民主主義」も「社会主義」も信じられない。ではどうすればいいのか?歴史上、大衆を利する政治体制は存在したのか?

まず第一に、そうした体制は、「人格者」を頭にするモラルある社会政治風土の建設が必要だ。すなわち、村、街レベルでの「濃密な人間づきあい」があってこそ、そうした人間を選びだすことができる。また、そうした人間は、家庭環境もしっかりしていなければ育たない。困窮生活の家庭ではそんな高尚なことを考える余裕はない。まさに、ことわざにあるとおり「食足りて礼節を知る」なのだ。すなわち、大衆の民度が低ければこうした人間は選べられない。扇動する悪者に騙される。あの文化の高かったドイツ人でさえヒットラーに騙された。「貧すれば鈍する」。「困窮はすべての悲劇の源」である。やはり、食足りる生活が営める生活が維持される「コミュニティづくり」とそれを実現する「自立的地域経済の確立」そして「教育の徹底」がよりよい政治を実現する根幹的な条件である。その中でできる限り助け合う「人間関係-コミュニティづくり」が確立されれば、自ずと優れた人間が選ばれる政治風土が築かれるだろう。まとめれば、

① 民度が政治を決定する-高いモラル
② コミュニティの醸成-助け合う人間関係の醸成
③ 地域で循環する経済の確立
④ 教育の徹底-家庭教育、地域教育、学校教育
⑤ エネルギーの自給

とりもなおさず、「経済」が全てを決するのは、残念ながら真実であり、誰もが利益を被る自立した地域経済体制の確立、すなわち地域内で金が回り経済が繁栄する体制が構築されねばならない。企業者もその一員として機能する果たす必要がある。地域内では、できる限り懇親が図れられ互助会的なサークルが催され、祭りなど親交を深める行事が行われる。こうして、優れた人材が自然と選びだされる政治環境が整ってゆけば、優れた政治家(代表者)を選ぶことは可能で、政党などもはや必要とせず、彼は地域全体の利益代表となりえる。現在こうして選出されるその多くは宗教色、イデオロギー色のない「自由民主党」系の政治家である。すなわち、自由民主党が「資本家」と縁が切れれば、地域を代表する政治組織となれる可能性は高い。日本はその意味で、もう一度地域経済を立て直し、コミュニティを復活し、モラルの高い教育をすれば、ましな政治家を地方各地から選出することは可能であり、こうした中から県知事クラスの「地方の名士」が誕生し、さらに彼らが中央政治で活躍すれば政治も代わるだろう。現在のような「人気」で知事や代議士が選ばれるのは間違っている。「草の根の政治活動」に10~20年携わった方々が代議士として中央政界で活躍する政治が確立されてのみ、真っ当な国の存立は実現される。もう一度整理すれば、

① 健全で自立的な地域産業の育成
② 健全で地域伝統を重んじた学校教育の確立
③ 地域コミュニティの醸成

こうした施策の実施を自由民主党など保守政党は掲げ、地域再生に取り組んでもらいたいものである。いまのような「東京一極集中型」の社会状況は、付和雷同する「迷える」大衆によって、移民流入、貧富の格差拡大など愚かな政策を扇動する政治家が闊歩する政治的混迷と悲劇をもたらすものである。日本の足腰を鍛えるこうした政策の実行のみが明日の日本を築くものと信じる。
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