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"Small is Beautiful" その5 中間技術の必要性

  31, 2018 22:37

シューマッハ

第5回 中間技術
現代の技術は、人間を疎外するまでに巨大化、複雑化している。こうした技術を後進国に輸出しても根付かない。シューマッハ氏は、大衆の生活防衛の手段として技術の再構成が必要だと説く。以下、その代替技術の「中間技術」とはいかなるものか、氏の考えを拝聴しよう。

・・・発展途上国のほとんど全てに、先進国のそれと同じような生活と労働のパターンを持った近代部門がある。しかし、そこには生活と労働のパターンがきわめて不満足であるばかりでなく、加速度的に衰退の過程にある非近代部門があり、全人口の多数を占めている。・・・極貧と絶望の生活を余儀なくされる今日の大多数の人々にも、健全な成長-少なくとも安定の健全な状況がなければ、近代部門の成功もすべて幻想となることは明らかである。・・・そこで、少なくとも開発の重要な部分は大都市を迂回し、(貧しくて大多数を占める)農村や中小企業地域での「農・工構造」の創設に直結することが必要である。・・・一人当りの生産を最大にするよりは、失業者や非完全雇用者のための雇用の機会を最大にするのが第一である。・・・したがって、少数の人がたくさん生産するよりも、すべての人々がなにがしかのものを生産する方が重要である。・・・製造工業の分野では、現在の日本経済に定着し、その力強い成長に大いに寄与しているような、小規模で、集中排除的で、労働力多使用型の組織の想像力に富んだ開発が必要である。・・・真の課題は次の四つに方式化されよう。
第一に、働く場所は人々が移住しそうな大都市地域にではなく、人々がいま住んでいる地域につくらなければならない。
第二に、これらの働く場所は平均して、あまりかねがかからず、容易達成し難いような資本形成や輸入を必要としないものを数多く作らなければならない。
第三に、採用される生産方式は比較的単純で、生産工程だけでなく、組織、原材料の供給、金融、販売その他の問題でも、高水準の技術に対する需要は最小限にしなければならない。
第四に、生産は主として現地の原材料を使い、現地向けの製品を作るべきである。
これら四つの要請は、開発への“地域的”アプローチと“中間技術”と呼ばれるものを開発し、適用しようとする自覚的努力がなされて初めて、満たされよう。・・・“全体としてのインド”にだけ関心を払うならば、物事の自然の成り行きからして、開発を二、三の大都市、近代区域に集中することになるだろう。人口の80%あるいはそれ以上を抱える国内の広大な地域はほとんど利益を受けず、実際には被害を蒙るかもしれない。ここに、大量失業と都市への大量移動というふた子の悪が生まれる。・・・スイスは全体として人口六百万以下だが、二十以上の「州」に分かれている。その各々が開発行政区のようなものであり、かなり均等に人口が分散しているため、過剰な集中地域の形成といった傾向はない。理想的に言えば、各行政区は内部的統一と主体性を持ち、少なくとも一つの町が地区センターとしての役割を果たすのが望ましい。“経済構造”をもつ必要があると同時に、“文化構造”を持つ必要がある。こうして、すべての村が小学校を持つ一方、中学校のある二、三の小さな市場の町があり、そして地区センターはさらに高等の教育機関を運営するのに十分大きくならねばならない。・・・「地域」ないし「行政区」のアプローチも、適正な技術を基礎としなければ、成功の見込みはないことは明らかである。近代産業の各種工場の建設には、多くの資本-平均して二千ポンド程度の資金-を必要とする。貧しい国は当然のことながら、こうした工場は一定期間にごく限られた数しか建設することができない。しかも、“近代”工場は近代的環境の内部だけで実際に生産的でありえるのであって、この理由だけからしても、農村地域や中小都市で構成する“行政区”には適応しない。・・・資本集約産業と労働集約産業の区別はもちろん、開発理論では周知のものである。それは疑問の余地のない正当なものだが、必ずしも問題の本質にかかわるものではない。・・・“大規模”産業と“小規模”産業の区別についても、まったく同様である。近代産業が大きな組織されていることが事実だが、“大規模”ということは本質的で普遍的な要素の一つではない。所与の産業活動が開発地区の状況に適するか否かは“規模”に直接依存するものではなく、採用される技術によるものである。・・・したがって、開発の本質に取り組むもっともよい方法は技術について語ることであり、貧困に打ちひしがれた地域の経済開発は私が名付けた“中間技術”を基礎とするときにのみ実りあるものになると信じる。結局、中間技術は労働集約的なもので、小規模工場の使用に供されよう。・・・中間技術は、比較的複雑でない環境を利用する場合に、非常に円滑に適用されよう。設備はごく簡易であるので、理解され易く、現地での維持、修理にも適している。簡易な設備は通常、高度な設備より原材料への依存度がはるかに小さく、ごく単純で仕様どおりに組み立てればよく、市場の変動にもいっそう適応性がある。従業員の訓練、監督管理は容易で、組織も単純で、予見できない困難にも耐えることができる。・・・もっとも野心的な(中間技術の)適用の分野もまたたくさんある。最近の報告から、二つの例を引用しよう。
「第一は、大部分のアフリカ、アジア、中南米諸国の政府は、市場はいかに小さくとも彼ら自身の領土内に精油所を作ろうとする政策は、最近顕著な傾向である。それは、生産単位当りの資本投下率が低く、生産能力も一日当り5,000バーレルから30,000バーレル程度に低い小規模の精油所を国際企業に設計させることである。これらの生産単位は、通常の設計の大規模で資本集約的な精油所と同じくらい能率的で、しかも低コストである。第二の例は、これも小規模の市場向けに最近設計されたアンモニウム生産工場である。若干の暫定的な資料によると、日産能力60トンの「単位工場」のトン当りの投資額は約30,000ドルだが、これに対し日産能力100トンの通常設備の工場は、この種のものとしては非常に小規模であるのに、トン当り約50,000ドルの投資を必要とする。」・・・中間技術の開発は、新しい領域への真の前進を意味する。新しい領域では、労働を節約し、仕事を省くための生産方式を作り出すのに必要な厖大な費用と複雑な工程は回避され、労働過剰社会に適切な技術が開発される。・・・プーナにあるゴカール政治経済研究所のガジル教授は、中間技術開発への三つの可能なアプローチを次のように概説している。
「一つのアプローチは、伝統的産業の既存技術から出発することである。改良というのは、既存の設備と工程の中に、若干の新しい要素を持ち込むことを意味する。伝統技術の改良を過程はきわめて重要であり、特に技術者の失業を回避する必要な分野で技術移転が問題である。
もう一つのアプローチは、もっとも進歩した技術の側から出発し、中間的な必要を満たすように適応し、調整することである。・・・ある場合には、その場で入手できる燃料あるいは電力のような特定の分野に適応させる過程も含まれよう。
第三のアプローチは、中間技術を確立するために直接の実験や研究を行うことである。・・・」
ガジル教授は、次のように説き続ける。
「国立実験所、技術研究所、そして大学などの応用技術者の主要な関心はこの仕事に集中されなければならない。・・・」・・・
結論を要約すれば、
「1.発展途上国の「二重経済」は、予見できる将来にわたって続くだろう。近代部門が全体を吸収することはできない。
2.非近代的部門が特別の開発努力の対象とならなければ、それは分解を続け、大量失業と大都市への大量移動をもたらし、近代部門の経済生活も同様に被害を蒙る。
3.貧しい人々はみずから助けるための援助を受けることができる。しかし、それは経済的制約と貧困の限界を認識する技術、すなわち中間技術の導入によってのみ可能である。
4.発展途上国の完全雇用を促進するのに適した中間技術を開発するために、国家的及び超国家的基盤での行動計画が必要である。」


以上に述べるごとく、大衆特に発展途上国の大衆の利益を実現する技術は「近代的技術」ではなく、どちらかといえば労働集約的な「中間技術」であると説く。しかし、それはこの技術が発展途上国にのみ適用できることを意味するのみでなく、「巨大化」、「複雑化」する産業資本主義に人間が疎外される現代にも通ずる。現代の疎外は、仕事の目的が金のみに集約され、本来有した「生きがい」の部分が欠落し始めているからである。人間がまっとうな人生を送るには、「生きがい」を実現する労働と技術が必要である。決して、「金儲け」を実現する労働と技術ではない。この根本的な人生観の違いが問題なのである。「中間技術」とは、技術を我々の日々の労働の生きがいを実現する手立てであると説く。この点において、「近代的技術」と異なる。大衆に「労働(生活費)」と「生きがい」を与える人間的スケールの技術が「中間技術」なのだ。
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