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武士道 その2 「武士道の源泉」

  02, 2018 09:03
武士道
武士道の世界

2.武士道の源泉を探る

(1)仏教と神道が武士道に与えたもの
「・・・仏教は武士道に、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲な平静さ、生への侮蔑、死への親近感などをもたらした。・・・ある一流の剣術の師匠(柳生宗矩)は、一人の弟子が自分の技の極意を習い覚えてしまったのを見るや「私の指南はこれまで。あとは禅の教えに譲らなければならぬ。」といった。・・・禅は「沈思黙考により、言語表現の範囲を超えた思考の領域へ到達しようとする人間の探求心を意味する」のだ。その方法は黙想であり、私が理解している限りおいて、そのめざすところは森羅万象の背後に横たわっている原理であり、できうれば「絶対」そのものを悟り。そしてこの「絶対」と、己自身を調和させることである。仏教が武士道に与えなかったものは、神道が十分に提供した、他のいかなる信条によって教わることのなかった主君に対する忠誠、先祖への崇敬、さらに孝心などが神道の教義によって教えられた。そのため、サムライの傲岸な性格に忍耐心がつけ加えられたのである。神道の教学には「原罪」という教義が入り込む余地はまったくない。それとは逆に、人間の魂の生来の善性と神に似た清浄性を信じ、魂を神の意思が宿る至誠のところとして崇拝する。神社の霊廟には礼拝の対象物や器具がいちじるしくとぼしく、本殿にかかげてある装飾のない、一枚の鏡の存在理由はたやすく説明することができる。つまり鏡は人間の心の表象である。心が完全に落ち着き、清明であるとき、そこには「神」の姿を見ることができる。・・・そして参拝という行為は、かのいにしえのデルフィの神託「おのれ自身を知れ」に通じるのである。・・・つまり私たちの道徳的性質の内省を意味している。・・・」

(2)武士道の源泉は孔子の教えにあり
「・・・道徳的な教義に関しては、孔子の教えが武士道の最も豊かな源泉となった。孔子が述べた5つの倫理的な関係、すなわち、君臣(治める者と治められる者)、父子、夫婦、兄弟、朋友の関係は、彼の書物が中国からもたらされるはるか以前から、日本人の本能が認知していたことの確認にすぎない。冷静、温和にして世才のある孔子の政治道徳の格言の数々は、支配階級であった武士にとって特にふさわしいものであった。・・・孔子に継いで孟子が武士道に大きな権威を及ぼした。彼の力のこもった、ときには、はなはなだしく人民主権的な理論は、思いやりのある性質をもった人々にはことのほか好まれた。・・・」

(3)武士道は知識のための知識を軽蔑する
「・・・このように知識は、人生における実際的な知識適用の行為と同一のものとみなされた。このソクラテス的教義は「知行合一」をたゆまず繰り返した中国の思想家、王陽明をその最大の解説者として見出したのである。・・・王陽明は、その良心無謬説の教義を極端な超越主義にまで発展させられた。そして、単に善悪の区別にとどまらず、心理的諸事実と物理的現象の性質も、また知覚しうる能力までもが良心にあると考えたのである。
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