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武士道 その6 「礼」

  08, 2018 10:56
武士道
武士道の世界

6.「礼」-人とともに喜び、人とともに泣け

(1)礼とは他人に対する思いやりを表現すること
外国人旅行者は誰でも、日本人の礼儀正しさと品性のよいことに気づいている。品性のよさをそこいたくない、とい心配をもとに礼が実践されるとすれば、せれは貧弱な徳行である。だが礼とは、他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現することである。・・・
礼はその最高の姿として、ほとんど愛に近づく。私たちは敬虔な気持ちをもって、礼は「長い苦難に耐え、親切で人にむやみに恨まず、自慢せず、思いあがらない。自己自身の利を求めず、容易に人に動かされず、およそ悪事というものをたくらまない」ものであるといえる。・・・

(2)礼を守るための道徳的な訓練
・・・スペンサー氏は「奥ゆかしいとはもっとも無駄のない立ち振る舞いである」と定義した。茶の湯の集まりは茶碗、茶杓、茶巾などを扱う一定の手順を教える。それは初心者には退屈にすら思える。だがまもなくその人は、定められたとおりの方法が結局は時間と手間を省く最上の方法であることを発見する。いいかえれば、もっとも無駄のないやり方が、スペンサー氏のいうところによるもっとも奥ゆかしい方法であることを発見するのである。・・・

(3)優雅な作法は力を内に蓄えさせる
・・・礼法のもっとも有名な流派のすぐれた祖述家である小笠原(清務)は次のように述べている。「あらゆる礼法の目的は精神を陶冶することである。心静かに座っているときは凶悪な暴漢とても手出しするのを控える、というのが、そこまで心を錬磨することである」それはいいかえれば、正しい作法にもとづいた日々の絶えざる鍛錬によって、身体のあらゆる部分と機能に申し分のない秩序を授け、かつ身体を環境に調和させて精神の統御が身体中にいきわたるようにすることを意味する。・・・
茶の湯の基本である静けさ、感情の穏やかさ、落ち着いた立ち振る舞いはまちがいなくまっとうな思考と素直な感情の第一条件である。俗世の喧噪から隔てられた、塵ひとつない草庵の清潔さは、それ自体、私たちの思考を世俗から隔てることを助ける。簡素な室内には西洋の広間に飾られている数々の名画や骨とう品のように人の目を奪うもののはない。掛物の存在は色彩の美しさよりも構図の優美さに引きつけられるものである。趣味の洗練さをきわめることが茶の湯のめざすところである。これに反する装飾のたぐいは、宗教的な嫌悪感によって追い払われてしまう。・・・

(4)礼儀は優美な感受性として表れる
・・・茶の湯は儀式以上のものである。それは芸術家である。それは詩であり、リズムをつくっている理路整然とした動作である。それは精神修養に実践方式である。・・・
・・・礼儀は慈愛と謙遜という動機から生じ、他人の感情に対する優しい気持ちによってもものごとを行うので、いつも優美な感受性として表れる。礼の必要条件とは、胃泣いている人とともに泣き、喜びにあると人とともに喜ぶことである。・・・
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