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武士道-12 「切腹」

  02, 2018 22:33
武士道の世界

12.「切腹」
(1)腹切りの“ハラ”は何を意味するか
「・・・日本人の心の切腹がいささかも不合理でないとするのは、外国にも例があるという連想のためだけではない。身体の中で特にこの部分を選んで切るのは、その部分が霊魂と愛情の宿るところであるという古い解剖学の信念にもとづいていたのである。モーゼが「ヨセフその弟のために腸焚くるごとく」と書き、ダビデは主にその腸(あわれみ)をわすれないようにと祈った。イザヤ、エレミア、そしてその他のいにしえの霊感を受けた預言者も、腸が「鳴動する」とか「腸がいたむ」といった。これらはいずれも腹の中に霊魂が宿るという日本人の間に流布している信仰と共通している。セム族は、常に肝臓、腎臓、およびその周辺の脂肪に感情と生命が宿る、としていた。「腹」という語はギリシア語のフレンphren とか thymos よりも意味の広い語である。そして日本人とギリシア人は等しく人間の霊魂はこの部位に宿ると考える。・・・デカルトは魂は松果腺にあり、とする理論を説いた。けれども、フランス人は、漠然とした部分ではあるが、生理学的には意義が明らかであるvendre(腹部)という語を今もなお「勇気」という意味に用いている。同様に、entraille(腹部)というフランス語は、「愛情」や「思いやり」という意味にも使われている。このような信仰は単なる迷信とはいえない。心臓が感情の中枢である、とする一般的な考えよりも科学的である。・・・近代の神経学者は、腹部脳髄とか腰部脳髄ということをいい、腹部や骨盤に存在する交感神経中枢が、精神作用により、きわめて強い刺激を受けると説く。この精神生理学的見解がいったん認められるならば、切腹の論理はごくたやすく組み立てることができる。「我はわが霊魂の座すところ開き、貴殿にそれを見せよう。穢れありとするか、清しとするか、貴殿みずからこれを見よ」私が自殺の宗教的、あるいはさらに道義的正当性を主張しているなどと、誤解されたくはない。しかし、名誉を何よりも重んずる考え方は、多くの人々にとってみずからの生命を棄てる十分な理由となった。

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名誉の失われしときは死こそ救いなれ
死は恥辱よりの確実なる避け所

とガースが歌った感慨に、どれだけ多くの人々が従い、唯々として彼らの魂を黄泉の国にひきわたしたことか。・・・」

(2)切腹は一つの法制度、儀式典礼である。
「・・・切腹は一つの法制度であり、同時に儀式典礼であった。中世に発明された切腹とは、武士みずから罪を償い、過去を謝罪し、不名誉を免れ、朋友を救い、みずからの誠実さ証明する方法であった。法律上の処罰として切腹が行われるときには、それ相当の儀式が実行された。それは純化された自己破滅であった。きわめて冷静な感情と落ち着いた態度がなければ、誰も腹など行いうるはずがなかった。以上のような理由によって、切腹はいかにも武士階級にふさわしいもんであった。・・・」

(3)武士における生きる勇気と死ぬ勇気
「・・・真のサムライにとっては、いたずらに死に急ぐことや死を恋いこがれることは卑怯と同義であった。・・・あらゆる逆境にも忍耐と高潔な心をもって立ち向かう。これが武士道の教えであった。・・・真の名誉とは、天の命ずるところまっとうにするにある。そのためには死を招いても不名誉とはされない。・・・サー・トーマス・ブラウンの一風変わった著書「医道宗教」の中に、武士道が繰り返し教えていることとまったく同じことを述べているくだりがある。それを引用しよう。「死を軽蔑するのは勇気の行為である。しかし、生きることが死ぬことよりいっそう困難な場合は、あえて生きることが真の勇気である」・・・」

(4)「四十七士」の仇討にみる二つの判断
「・・・「この世で一番美しいものは何だろうか」とオシリスはホーラスにたずねた。その答えは「親の仇を討つこと」であった。日本人はこれに「主君の仇」をつけ加えるだろう。復習には人の正義感を満足させる何かがある。・・・人間の常識が、武士道に一種の道徳的均衡を保たせるための一種の道徳法廷として、仇討ちの制度をつくらしめた。・・・「四十七士」の主君(浅野内匠頭)は死罪を命じられた。彼には控訴すべき上級法廷はなかった。したがって、忠義にあふれたその家臣たちには唯一の最高法廷ともいうべき「仇討ち」の手段に訴えるほかはなかった。・・・だが仇討ちは目上の人や、恩義ある人のためになされるときのみ正当とされたのである。自分一個の損失や、妻子に加えられた危害は、ひたすら耐え忍び、それを許すべきものとされていた。したがって、サムライは、祖国に加えられた仇を討とうとするハンニバルの誓いには双手をあげて賛同する。だが、ジェームズ・ハミルトンがその妻の墓からひと握りの土をとってわが帯につけ、それを摂政マレーに対する妻の仇をうつための絶えざる刺激にしたという事実は軽蔑する。・・・」

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(5)かくして「刀は武士の魂」となった
「・・・正しく行われる「切腹」の場合は、狂気、狂気、興奮などはひとかけらも見られない、切腹遂行の成功には極度の冷静さが必要である。ストラハン博士は
自殺を、合理的もしくは疑似的自殺と、不合理的もしくは真実の自殺に分類した。「切腹」はその前者のこれらの血なまぐさい制度からも、また武士道の一般的な傾向からしても、刀が社会の規律や生活にとって重要な役割を果たした、と推論することはたやすい。まことに「刀は武士の魂」とすることが、金言とまでなったのである。・・・」

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