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武士道-15 「大和魂」-いかにして日本人の心となったか

  03, 2018 09:11
武士道の世界

15.「大和魂」-いかにして日本人の心となったか
(1)一般大衆を引きつけた武士道の徳目
「・・・アングロ。サクソン人の自由獲得のための輝かしい歩みについてはいくらでも語ることができよう。だがその運動は一般大衆の運動の高まりによることはほとんどなかった。むしろ、どちらかといえば、地主階級や「紳士」が起こした運動ではなかったか・・・民主主義はこのような見解に対して、誇らしげに答えるだろう-「アダムが耕し、イブが織ったとき、いったい紳士はどこにいたのだろうか」と。エデンの楽園の中に紳士が一人としていなかったことはまことに残念なことであった。人類の最初の夫婦は、紳士がいないことを痛く惜しみ、そのために高い代償を支払った。もし、紳士がそのとき楽園に居合わせたら、その園はもっと豊かな、もっと潤いに満ちたものに仕上げられただろう。・・・(それにくらべ)武士は一般庶民に対して超越的な地位にあった。けれども彼らは道徳の規範を定め、みずからその模範を示すことによって民衆を導いた。・・・」

(2)サムライは民族全体の「美しき理想」
「・・・マロック氏は示唆に富んだその著「貴族主義と進化」の中で、「社会の進化とは、それが単なる生物学的進化と異なる限りにおいて、偉人の意志から生じた無意識の行為の結果として定義してよいだろう」と雄弁に述べた。またさらに、歴史上の進歩とは「社会一般の中で生じる生存競争によってではなく、社会の少数の人々の間で、大衆を最善の方法で指導し、支配し、使役しようとする競争によって生み出されるものである」といった。・・・」

(3)「エリート」の栄光、憧れ、そして「大和魂」へ
「・・・武士道は当初、「エリート」の栄光として登場した。だが、やがて国民全体の憧れとなり。その精神となった。庶民は武士の道徳的高みまでに達することはできなかったが、「大和魂」、すなわち日本人の魂は、究めるところのこの島国の民族精神を表すにいたった。・・・」

(4)サクラは「大和魂」の典型
「・・・本居宣長は、

   しきしまのやまと心を人とはば 朝日ににほうふ山ざくらばな

と詠んで、日本人の純粋無垢な心情を示す言葉として表した。たしかに、サクラは私たち日本人が古来からもっとも愛した花である。そして、わが国民性の象徴であった。宣長が用いた「朝日ににほふ山ざくらばな」という下の句に特に注目された。大和魂とは、ひ弱な人工栽培植物ではない。自然に生じた、と言う意味では野生のものである。それは日本風土に固有のものである。・・・私たち日本人のサクラを好む心情は、それがわが国固有の産物である、という理由によるものではない。サクラの花の美しさには気品があること、そしてまた、優雅であることが、他のどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴えるのである。私たちはヨーロッパ人とバラの花を愛でる心情をわかちあえることはできない。バラには桜花のもつ純真さが欠けている。それのみならず、バラは、その甘美さの陰に棘を隠している。バラの花はいつとはなく散り果てるよりも、枝についたまま朽ち果てることを好むかのようである。その生への執着は厭い、恐れているようでもある。しかもこの花にはあでやかな色合いや、濃厚な香りがある。私たちの日本の花、サクラは、その美しい粧いの下に棘や毒を隠しもってはいない。自然のおもむくままにいつでもその生命を棄てる用意がある。その色合いはけっして華美とはいいがたく、その淡い香りには飽きることがない。・・・太陽は東方から昇り、まず最初に極東のこの列島に光りを注ぐ。そしてサクラの芳香が朝の空気をいきいきとさせる。このとき、うるわしい息吹を胸一杯に吸うことほど、気分を清澄、爽快にするものはないだろう。・・・短い快楽のひとときが終われば、人びとはあらたな力と満たされた思いをもって、日常の仕事に戻っていく。このようにサクラは一つではなく、さまざまな理由からわが国民の花となっているのである。・・・」

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