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論語に学ぶ!

  15, 2018 10:34
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石平氏が、日本の著名人に論語のどの部分に感銘を受けたかを聞いていく物語である。石平氏自身も文化大革命時代にもかかわらず、漢方医である祖父から論語を教えられたそうである。共産主義社会でも庶民の間では脈々と論語は生きているのだろう。しかし、中国でできた論語は実は日本で蘇り、戦前までは人生訓として庶民の間で愛されていた。現在、教育の中で論語が真面目に取り上げられないことは残念である。本書に登場するほとんどの著名人は戦前生まれの父、祖父から論語を教えられた人びとであり、それがいい意味で後の人生に大きな影響を与えている。現在の米国流のプラグマティズムが幅を利かす時代では、なかなか活かすことは難しいが、ここに登場する人びとの話を聞くと、論語がいかに人生にとって有意義なものであることがわかる。では、登場人物がどの論語のどの部分に心を撃たれたかを説明していきたい。

(1)伊与田覚氏の場合
伊與田覺(いよた さとる/1916年-/男性)氏は、高知県出身の教育者、著述家、思想家である。学生時代より陽明学者「安岡正篤」に師事し、1940年に青少年の学塾「有源舎」、1946年に太平思想研究所を設立、1953年には大学生の精神道場「有源学院」を創設。関西師友協会設立にも参与し、理事・事務局長に就任。また、成人教学研修所の設立に携わり、常務理事・所長に就任している。1987年には論語普及会を設立し、論語精神の昂揚に尽力している。著述としては、「人に長たる者の人間学」、「大人のための論語入門」、「論語一日一言」などがある。伊代田氏が選んだ論語の一句は、

「一以て之を貫く(いちをもってこれをつらぬく)」

一とは「仁」であり、人生においては「仁」が一番根本であり、そこからいろいろな人間関係が生まれてくる。「仁の心」というものをお互いに深めてゆけば、自ずから相通ずる人間関係が構築されるものだと述べている。(「仁」とは、おもいやり、いつくしみであり、特に、儒教の根本理念として、自他のへだてをおかず、一切のものに対して、親しみ、いつくしみ、なさけぶかくある、思いやりの心を言う)。

(2)北尾吉孝氏の場合
北尾氏は、昭和26年兵庫県生まれ。1974年慶応義塾大学経済学部卒業後野村證券入社。1978年英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。野村證券NY拠点勤務後、英国ワッサースタインペレラ社常務取締役、野村企業情報取締役、野村證券事業法人三部長を経て、1995年ソフトバンク入社、常務取締役就任。現在SBIホールディングス株式会社代表取締役社長である。北尾氏が選んだ論語の一句は、

「死生命あり、富貴天にあり」

「生きるか死ぬかは天の配剤だ」。「金持になるかあるいは偉くなるかは、これもまた天の配剤だ」という意味である。北尾氏いわく、「仕事の「仕」も「事」も「つかえる」と読むでしょう。では、何につかえるのか。これは天につかえるのです。私はずっと前からそう考えていますし、そのため仕事を頑張っています。」

(3)葛西敬之氏の場合
昭和15年東京生まれ。1963年、東京大学法学部卒業後に日本国有鉄道へ入社。静岡鉄道管理局(現・JR東海静岡支社)や仙台鉄道管理局(現・JR東日本仙台支社)で総務部長を務めたのち、経営計画室主幹や職員局次長を歴任。労組対策に力を注いだ。1987年の分割民営化後はJR東海に配属され、取締役総合企画本部長に就任。1990年、同社副社長に昇格。その後28年間に渡り代表取締役を務める。1995年代表取締役社長、2004年代表取締役会長。2014年、JR東海の代表取締役会長から、代表権のある名誉会長へ異動した。
葛西氏がお気に入りの論語の一句を以下のようである(葛西氏の言葉)。

「・・・長期的、大局的は視点に立つ思いやりは、リーダーの一番大事な哲学である。忠恕で言えばまさに「恕(思いやり)」の心ですね。これもまた、自分がよくなることが先にあるのではなくて、先んじて憂い、遅れて楽しむという気持ちですね。それと、「忠」も大切ですね。忠というのは真心です。リーダーは自分の集団のために真心をこめて尽くさなければなりません。そして自分のために策を弄するのではなく、誠心誠意をもって行動すべきです。あとはやはり「信」ですね。信頼関係が大事です。
社員や国民とリーダーとの間に信頼関係が結ばれているかどうかで、企業や国家が決められます。信頼関係が結ばれていれば、会社も国も安定していますが、信頼関係がなければ、会社も国家も成り立ちません。ですから、私から見れば、「論語」のなかでの一番のキーワードは、「忠」と「恕」と「信」の三つの文字ですね。」

(4)渡部昇一氏の場合
渡部昇一氏は、昭和5年(1930年)生まれ。山形県鶴岡市出身。山形県立鶴岡中学校(旧制)を経て学制改革により山形県立鶴岡第一高等学校(現:山形県立鶴岡南高等学校)を卒業(1949年:昭和24年)。同年上智大学文学部英文学科に入学。1955年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。同年ドイツのヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学大学(通称ミュンスター大学)に留学、1958年同大学よりDr.Phil(哲学博士号)を受ける。1958年イギリス・オックスフォード大学ジーザス・カレッジ寄託研究生。1960年上智大学英文科講師、助教授を経て教授。1994年ミュンスター大学名誉哲学博士(Dr.Phil. h.c.)、2001年退職、上智大学より名誉教授の称号を受ける。2017年4月17日、心不全により死去、享年86歳。渡部昇一氏のこだわりの言葉は、

「学びて思わざれば則ち罔(くらく)、思うて学ばざれば則ち殆し(あやうし)」

「会社の経営は、自分の思い込みだけでやると危ないですから、いろいろと勉強しないといけません。その反面、学んだだけでは会社が儲からないから、やはり自分でいろいろと考えて工夫しなければなりません。」(渡部氏の言葉)

(5)渡邊五郎三郎の場合
渡邊五郎三郎氏は、大正8年福岡県生まれ。昭和11年旧制中学明善校を卒業し、南満工専技養・機械科卒業後、満鉄・鉄道技術研究所に入所する。昭和26年参議院議員秘書、昭和41年国務大臣行政管理庁長官秘書官、51年福島県知事政務秘書。平成2年から政策提言集団・福島新樹会代表幹事を務める。氏のお気に入りの論語の一遍は、

「士は以て好毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己が任となす、亦重からずや。死して後已む、亦遠からずや。」

氏いわく、「死ぬまで頑張らなくてはだめですよ。自分のことはまだまだ未熟だと絶えず思って、一生懸命努力するという姿が、まさに道を求める人間のしかるべき生き方です。このような人間になるのを目指していくことこそ、若者たちの持つべき大志だと思います。」
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