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武士道-17 武士道の遺産から何を学ぶか

  06, 2018 10:42
武士道の世界

17 武士道の遺産から何を学ぶか

(1)武士道はその姿を消す運命にあるのか
「・・・歴史は繰り返す、ということがありうるならば、武士道の運命はヨーロッパの騎士道のたどった運命をたどるだろう。・・・めざましいデモクラシーの滔々たる流れは、それだけで武士道の残滓を飲み込んでしまうに十分な勢いをもっている。民主主義はいかなる形式、いかなる形態の特権集団をも認めない。だが、武士道はじつのところ知性と文化を十分貯えた権力を独占した人びととによって組織された特権集団の精神であった。・・・ある偉大な思想家はテレサとアンティゴーネについて「彼女たちの壮烈な行為をはぐくんだ環境は永遠に去った」と述べた。この言葉はわがサムライについてもいいうるのである。悲しいかな武士道、悲しいかなサムライの誇り。鉦や陣太鼓の響きとともに世間に迎え入れられた道徳は「名将や名君が立ち去る如く」その姿を消す運命にある。・・・」

(2)名誉、勇気、そして武徳のすぐれた遺産を守れ
「・・・近年、・・・武士の訴えてきた使命よりも、もっと気高く、もっと幅広い使命が今日、私たちに要求されている。・・・人はもはや臣下以上のものとなり、市民という存在に成長した。否、人は市民以上のもの、すなわち人間なのである。・・・ミラー博士は、騎士道はフランスのアンリ二世が武芸仕合で殺された1559年正式に破棄された、という。私たち日本人にとって、1871年の廃藩置県の詔勅が武士道の弔鐘となるべき合図であった。その五年後に公布された廃刀令は昔の「手に汗することなく人生をおくる恩典、安上がりの国防、男らしい感性と英雄的な行動の保護者」が尽き果てたこと、そして「詭弁家、金儲け主義者、計算高い連中」の新時代に入ったこのとあかしであった。・・・あらためていうまでもなく、活力をもたらすものは精神である。精神がなければ最良の装備もなんらの利点とならない。最新式の銃も大砲もみずから火を吹くことはない。現代の教育制度をもってしても臆病者を英雄に仕立て上げることはできない。否、鴨緑江においても、あるいは朝鮮や満州において勝利をかちとらしたものは、私たちを導き、そして私たちのこころを励ましてきた父祖の霊魂であった。これらの霊魂、私たちの勇敢な祖先は死に絶えたのではない。見る目を持つ人たちにそれらがはっきりと見えるのだ。もっと進んだ思想をもつ日本人の表皮をはいでみよ。そこに人はサムライを見るだろう。名誉、勇気、そしてすべての武徳の優れた遺産はグラム教授によってまことに適切にいい表れされている。・・・それは、「われわれが預かっている財産に過ぎず、祖先及びわれわれの子孫のものである。それは誰も奪い取ることができない人類永遠の家禄」である。・・・」

(3)不死鳥はみずから灰の中より甦る
「・・・日本人の心がそのあかしをたて、感得した神の国の種子は武士道の中で花咲いた。そして悲しむべきことに、今や実りの時期を前にして、まさにその花弁を閉じようとしている。私たちはあらゆる方向に、美と光の、力と慰めの源泉を求めた。けれどもいまだ武士道の代わりとなるべきものは発見されていない。功利主義者や唯物論に対抗できる十分に強力な他の唯一の道徳体系は、キリスト教である。・・・武士道は特に支配する者、公の立場にある者の道徳的行為、および国民一般の道徳的行為に重点を置いた。しかし、一方でキリスト教の道徳はもっぱら個人およびキリスト教を個人的に信仰する人びとに関するものである。したがって個人主義が道徳の要素として勢力を増すにしたがい、キリスト教の道徳ますます実際的に応用されるだろう。・・・」

(4)武士道は不滅の教訓である
「・・・武士道は一つの独立した道徳の掟としては消滅するかもしれない。しかしその力は地上から消え去ることはない。その武勇と文徳の教訓は解体されるかもしれない。あの象徴たる桜の花のように、四方の風に吹かれた後、人生を豊かにする芳香を運んで人間を祝福しつづけるだろう。・・・あるクエカーの詩人はうるわしい言葉で歌う。

いずこよりか知らねど近き香気に 
感謝の心を旅人は抱き 
歩みを停め、帽を脱りて
空よりの祝福を受ける

おわり
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