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パラダイムシフト 西洋文明から東洋文明へ

  27, 2018 13:33
2001年宇宙の旅

現在の文明の有り様について疑問を呈する
現在、機械文明は日進月歩であり、あたかもこれが正常な動きであるかのように、なにも疑うことなく進んでいる。第二次大戦において、日本が長崎、広島でうけた原爆の惨劇など少しも反省することなく、核ミサイル開発に明け暮れている。一国が核をもてば、他国は必然的にこれに追随する。なぜなら、そうでなければ自国が核ミサイル攻撃を受けても反撃できないからだ。しかし、機械文明が高度化するにつれて、一体これは人間の幸福のためのものなのか自問せざろうえない状況に陥っているのが今日的状況ではないか。たとえば、ロボット、ロボットが人間に代わって仕事をするのは、自動車の生産ラインやICチップの生産工場でみられるが。もはや人間が敵わない速さと正確さでものをつくる。もはや、人間など必要ないのである。さらに、その進歩は、「手仕事」だけだはない。「頭」にも及ぶ。AIの出現である。将棋、碁、チェスの世界では、もはや人間はAIに勝てない。そうなると、AI同士の対局が人間の戦いの上に位置することになる。もはや、人間の対局よりAIの対局の方に興味が移り、「人間不在」のゲームに成り下がる。こうなると、一体AIとは一体なんのための存在なのか疑問が湧く。こうしたゲームはたしかに売れるだろうが、アマチュアが作れるような代物でもなく、AIで腕をみがいても、その先に弱い人間がいるのではゲームに対する興味も薄れてしまう。こうした開発が本当に人間にとって「進歩」といえるのか。大いなる疑問符がつく。バイオテクノロジーによる遺伝子操作などをみても大変危険な科学になる予想がつく。しかし、こうした開発が資本主義、すなわち金儲けに役立つかぎり終わらない。そこに「道徳」が入り込む余地はない。いや、資本主義、共産主義の根底にあるものは、「拝金主義」であり、「唯物史観」であり、「宗教否定」の「科学万能主義」である。しかし、こんな「精神論」ぬきの進歩が人間を「満足」させるわけがない。いずれは、あのハリウッドの戦争映画のように「破滅戦争」へとまっしぐら。
西洋文明にあるこうした機械化信奉論は、「牧畜文明」から来たのだろう。牧畜は、羊、牛、豚などを放牧させ、大きくなったところを殺してたべる。ようするに、「寄生」的な文明なのである。牛、羊、豚にとってはたまったものではない。大きく太らされてて殺される。動物を殺生することは、非常に残酷な行ないではないか。アジア文化からみれば、仏教的観点からすれば許されるべき行為でない。日本では、明治以前は「四足の生き物」を殺し食すことは、邪な酷い行ないとして社会通念上禁じられていた。「農耕文明」と大きく異なるのが、西洋、ユーラシアの「牧畜文明」なのである。こうした「他」を利用して「自」を利する文化の発展形として、その延長線上に「機械文明」があるのではないか。たしかに、寒冷なヨーロッパ北部や灼熱砂漠のアラブなど厳しい自然の中では、「草」程度しか食べるものがなく、放牧で育てた家畜以外に食するものがない。そんな環境では、こうした「生き方」になるのは必然というか、当然なのかものしれない。そうした「生き方」は、「他を利用して自を利する」文化を生み、それが西洋の海外進出-アジア、アメリカ、アフリカへの帝国主義、植民地主義(奴隷化)に繋がったとはいえないだろうか。そこで得られた厖大な利益で「産業革命」が起こり、その中で「牧畜文明」の発展形として「機械文明(家畜、奴隷の代わりに機械に仕事をさせる)」が生まれたのではないか。それが次第に高度化し、ロボットが生まれる。こうなると、労働力としての人間さえ必要なくなる。すべてはロボットが人間に代わって仕事をする。さらには、そのロボットさえAIが設計、制作する時代くるのは間違いない。ジョージ・オーウェルが描いた「1984年」の未来は実現まじかである。こうした資本主義の発展の中で取り残されるのは、「精神的に正常な人間たち」だろう。ようするに「疎外」の問題である。機械文明が進めば進むほど、人間は「疎外」され、精神的ストレスが増え、ドロップ・アウトする。その先は・・・・
そうである。自然へと戻るだろう。資本主義の象徴である「都市」をはなれ、「田舎」に救いと癒やしを求めて田舎に「逃避」する。すなわち、「都市文化」と「農耕文化」の争いが起こるに違いない。「都市」が勝てば、世界はあのハリウッド映画のように「殺し合い」の地獄絵になるだろう。「田舎」が勝てば、「都市」は荒れ果て、資本主義は滅びて、新たな「地平線-パラダイム・シフト」が「田舎」の自然の中から生まれるにちがいない。それは、もはや「西洋機械文明」の延長線上の文化ではない。アジアの平和的で、「人を利用しない、自力でみんなが力をあわせて生きる」、農耕主体の仏教文化になるはずである。西洋文明が求めていた「外側の文化」ではなく、「内側(心)の文化」を求める精神文明が花咲くことだろう。
現代は、まさにそのような人間文明の有り様が問われる時代に差し掛かっているのではないか。スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」のラストシーンの「あの赤ん坊」が意味するものは一体なになのかよく考えるべき時が来た。
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