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大川周明著「日本2600年史」 その2

  15, 2019 16:38
皇道

第二章 日本民族及び日本国家
・シナ文明の日本同化の過程

「・・・日本精神の数ある特徴のうち、その最も著しきものは、入りて来るすべての思想・文明に「方向を与える」ことである。それ故に吾らは日本精神を偉大なりとする。そはまさしく一切の支流を合わせてその水を大海に向かわしめ、かつ之によりて己を豊かならしむる長江大河の偉業である。吾らは先ずシナ思想及び文明と接触して之を吾有とし、次いで印度思想及び文明と接して之を吾有とした。亜細亜精神の両極ともいうべきこれらの思想並びに文明は、実に日本精神によりて正しき方向を与えられたが故に今日までその生命を護持し長養されてきた。シナ思想の精華、したがってシナ文明の根底は、孔孟の教えではないか。而してその教えが日本に活きてシナに死んだのだ。修身治人の学問としての儒教は、ついに道徳的にシナ民族を向上せしむることができず、また政治的に之を発達せしむることも出来なかった。若宮卯之助氏がその好著『世界的日本主義』の中に紹介せる一シナ学者の言葉は、シナにおける儒者、従って儒教が、原則として社会国家の進展に没交渉なる事実を指摘して痛切無比である。・・・しかるに吾国においては、ウジワキイラツコ皇子自殺が悲壮に立証するがごとく、儒教伝来の当初より、厳格忠実に孔孟の教えを躬行せんと心がけた。それゆえに儒教は日本の国民道徳を向上させた。わけても徳川時代に於いては、儒教が国民の道徳的並びに政治的生活に於ける至要な指導原理となり、諸侯は之に則てその国を治め、士人は之によってその身を修めた。もと孔孟の教えは春秋戦国の時に説かれたるもの、それが吾が徳川時代において見事に躬行せられたのは、一つには両者の国状が似通えるものによる。春秋時代のシナは、その封建制度、その面積人口、共に徳川時代の日本と大差ないこれ儒教が、秦漢以後の統一帝国に於いてよりも、日本に於いて一層適切に理解せられ、一層見事にその精神を実現せられし所以である。・・・」

・インド文明の日本同化の過程
「・・・この事はインド文明の精華というべき仏教についてもまた同様である。仏教はついにインドを救い得ざりしのみならず、インドも仏教を生かし得なかった。いまや仏教は、僅かにセイロン島において小乗的信仰者の少数を有する以外、ほとんどインドにその跡を絶ってしまった。第二の故郷ともいうべきシナに於いても、いまや仏教は漢訳蔵経と堂塔伽藍とを残して、過ぎし世の盛大を偲ばしむるに止まり、シナ民族の信仰生活と風する馬牛(無関係)と成り果てた。独り吾が日本に於いてのみ、仏陀の福音に含まれたる一切の要素が、その登るべき至高の階まで高められ、今日なお国民の宗教的生活を律する生きたる信仰となっている。・・・」
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